みなさん!こんにちは!竹内直紀です😊
本日は9月15日✨
わたくしはいま富山県におります。
今週は私事で富山を中心に移動しております。
魚津には初めてお邪魔したのですが、駅には券売機もなく人もなく、とても懐かしい風景と列車に癒されました😊
そして今回時間があったので、初めて富山城へと行って参りました!
さて久しぶりのお城シリーズです🏯
続日本100名城にも選ばれた富山城。
現在の富山城は1954年に建設されたもので、街のシンボルとして市民に親しまれています。
城内は博物館になっており、戦国時代から明治時代以降の400年以上にわたる歴史を、映像等も使いながら分かりやすく紹介していました。
さて今回は題名にもある通り、
滝廉太郎と富山
との関係をお話しましょう。
滝廉太郎は東京に生まれましたが、生まれてまもなく父が富山県書記官となり富山市に転居。
小学校三年生まで富山で過ごします。
滝廉太郎といえば大分のイメージがあったのですが、富山城の帰りにふと団子🍡という旗に導かれ茶屋に近づくと、滝廉太郎記念館という文字が!
入口は普通の喫茶店のようですが、奥の小さな一部屋に入るとそこにはなんと滝廉太郎さんが😳
古いピアノや当時の尋常小学唱歌の唱歌集が置いてあり、滝廉太郎さんの曲が流れていました。思わずテンションが上がり、荒城の月をレッスンしてもらいました!
春 高楼の〜♪
レッスン中
ありがとうございました!
なんだかとっても得した気分になりました😊
「荒城の月」の”荒城”のモデルはこの富山城なのか大分県竹田の岡城なのか?
という論争もあるそうですね。
富山城は、作詞者土井晩翠には作詞構想にあたり、作曲者廉太郎には作曲のインスピレーションがあったとされているそうです。
調べると中々に面白い!🧐
滝廉太郎は、「秋に渡来し、翌春まで姿を見せる雁の鳴き声が、富山城を照らす月の夜には、りょうりょうとして特に鋭く聞こえ、今も耳に残っています。」と対談で答えているそうです。
尚、この一番と二番の歌詞においては富山城、3番4番は岡城、との説もあり、調べれば調べるほどなお面白い🧐今回ゆっくりと富山を散策しなければわからなかったことです。
忙しい日々の中で、ふと心休めた時に思いもかけず素敵な出逢いがあるものですね✨
芸術の秋にかけ、フォレスタの公演も続きますが、この心の余裕を保ちつつ明日からまた頑張ります😊
またお逢いしましょう!
竹内直紀でした。