みなさまこんばんは。 石川和男です。 5回目となる伝言板の担当が回ってきましたが、これまで音楽の話がゼロでしたね。。。 先日本棚を整理していたら昔買った本が出てきまして、改めて読み返したら止まらなくなりました。
渡辺護 著 休止符のおしゃべり 音楽家笑話集 音楽之友社刊(1991)
先人達の偉業や作品はもちろんリスペクトしていますが、
「類まれな聖人君子の大先生がふぁーっと世に遣わされ魔法のように名曲を遺していかれた」
というように神格化して祭りあげるよりは、
「ギャーギャー言いながら当時の社会で必死に生きてきた営みの結果産み落とされた作品と根性が凄い」
と思っておりまして。
肩を並べるつもりはありませんが、その人間臭さを垣間見るとほっこりしたり、あるいは励みになったり。そして曲に接すると改めてその「いい仕事」に感嘆するのです。
決して「もめた話が好き」なわけではありません!(笑)
ヨハン・セバスティアン・バッハは、多くの作曲家が彼の作曲技法を手本に学んだことから【音楽の父】とも呼ばれますね。
彼は紆余曲折の末、1750年に亡くなるまでの27年間にわたり、ドイツ・ライプツィヒにある聖トーマス教会の音楽監督(トーマスカントル)を務めていました。
当時のドイツは市議会が教会も管轄していて教会は行政機関のような存在。
なのでバッハは教会の音楽監督だけでなく、附属小学校の教員に生活指導、そしてライプツィヒ市の音楽監督も兼任し、礼拝や市の行事の音楽をその都度作曲していたそうです。
中でも日曜日の礼拝のために毎週作っていたカンタータ(聖歌隊とオーケストラのための組曲)はどれも壮大で、200曲以上残されています。
、、、なにより多忙の限りが窺えます。
短気で、出来の悪い楽団員に自分のカツラをむしり取って投げつけたという逸話は有名です(ダメ、ゼッタイ)。
若いころには、オルガン奏楽の現場に恋人を呼び寄せたり、当時としては前衛的な音楽を礼拝に混ぜ込んだり、聖歌隊の指導にやる気スイッチが入らなかったりで、しばしばお呼び出しとなり怒られていたそうです。
出張中に急逝してしまった最初の奥さんマリア・バルバラ(呼び寄せていた恋人)の葬儀立替経費を請求され、
と言った話(切り盛りはすべて任せきりだったようです)は、前述書の最初のエピソードです。
ちなみにその音楽監督(トーマスカントル)はいまも続いていて、2016年から務めているのはゴットホルト・シュヴァルツさん。もちろん高名な音楽家としてバッハ演奏の録音もたくさんあります。
教会の立場と役割は昔と今でだいぶ違うのでしょうが、、、きっとご多忙なことでしょう(笑)
まさに「今につながる歴史」ですね。ドイツに行ったことないんですけど。
学生のころ歴史は苦手だったのに、まるで別物のようにネタは尽きませんがこのへんで…。次回はブラームスが妬みで訴えられて勝った話でも…
もめた話が好きなわけではありません!(笑)
さて、明日から6月。
油断はできませんが、少しずつ日常が戻っていくといいですね。