皆さまこんばんは。
5回目となりました、財木麗子です(*^^*)
こんな言葉がかかれた大きなボードの前で
「ウンウン」
と大きく頷いてしまった言葉を今日はご紹介します♩
そこにはこう書かれていました。
私は演歌は日本人の血液だと思っています。
はるか太古の昔からこの地に根づいて、
ずっと歴史を紡いできた
日本人の遺伝子を組み込んだ血液だから、
海外で孤独を感じると、みそ汁や演歌が恋しくなるのです。
どんなにポップスだクラシックだと言っても、海外にいて、
ふと耳にした演歌に体が震えるような感動を味わったという話は
枚挙にいとまがありません。そこには理屈なんてないんです。
なぜなら、演歌は日本人に流れてる血液と同じものなのですから。
船村徹
心打たれしばし釘付けでした!
この言葉は偉大な作曲家である、栃木出身の船村徹さんによるもので、
その大親友・盟友は26歳でお亡くなりになった高野公男さん(嬉しい事に茨城県の笠間市出身!)です。
「俺(高野)は茨城弁で歌詞を書くから、
お前は栃木弁で作曲しろ」という言葉が指針になっていた、
とも書いてありました。
船村徹さんの歌には栃木弁のアクセントがあるそうです。
(私も隠し切れないエ〜バラキ弁のカホリが…( ̄∀ ̄))
私の母も船村徹さんの大ファンで
彼が亡くなる約半年前の高野公男没後60周年の記念コンサートに足を運び
術後の船村徹さんと北島三郎さんが二人で椅子に腰掛け、搾り出すよう歌った「男の友情」には号泣したそうです。
(感動屋な母は、味があって田舎万歳!と言っていた気がします(๑˃̵ᴗ˂̵))
今でもヴェルディ、プッチーニ…西洋音楽は圧倒的で素晴らしく、憧れがあるので
まさか演歌の世界に自分がこんなに惹かれる事になろうとは思いもよらなかったのですが
そうなんだ、私の血はそういう血なんだ、とその言葉に勝手に納得してしまいました。
フォレスタに入る前ですが異国に住み、
言葉や文化の違いをひしひしと感じるうちに
お味噌汁が〜あんみつが〜(笑)
母語の日本語、日本歌曲、童謡が唱歌が恋しくなっていきました。
未だにクラシックの発声でマイクを使い歌謡曲を歌う事は
不器用な私にとっては容易な事ではなく
最初の頃は自身に違和感も覚える事もありましたが
でもこの特異性や違和感も転じて長所、
フォレスタの魅力なのかな、と(勝手に)思うようになり、
今はジャンルを越えた歌を皆さまにお届け出来る幸せを感じています。
このご縁に心から感謝です。
…あれ?
なんの話でしたっけ(^◇^;)
話が逸れてしまいましたので、
あいらぶ・・・の気持ちを込めてこの辺りで♩
こちらはイギリスでの1枚。
どうやら犬には言葉の壁はなさそうです。羨ましい。

渡英し徐々に日本人である事を意識するようになり
コンサートで日本の作品を演奏する際には
なるべく着物を着て歌うようにしていました。

やっと感染者数が減って来て 希望の光が見えてきた気がしますね。 皆さまにお目にかかれる日はいつでしょう☆彡 心待ちに、楽しみにしています!! また明日からも頑張りましょう╰(*´︶`*)╯♡